かつてイギリスのみでなく世界中で愛され、そして今も愛されているビートルズ。
そのビートルズの再来とまで言われたBrosは、1987年春彗星のごとく現れた。
今も英国POP史に残るその人気はイギリスをはじめ、世界42カ国にまで広がり、
BROS旋風という言葉をはじめ多くの言葉を生んだ。
BROSが多くのBOYS BAND(いわゆるアイドル)と決定的に違うのは、
彼らがオーディションや顔で選ばれてデビューしたわけでなく、
その歌唱力と長い下積み経験を経てデビューしたことである。
かのテイク・ザットもインタビューのなかでBrosを目標にしてきたことを明かしている。
いまイギリスで活躍する多くの若手グループはBrosを目指してきた、といっても過言ではないだろう。
だが、不幸にもクレイグ・ローガンの脱退によってBROSはバランスを崩した。
当初、クレイグ・ローガンが脱退してもダメージは少ないと思われた。
しかし、変化は外部からではなくBrosの内部から起こった。
クレイグ・ローガンの脱退は彼の病気が原因であったにもかかわらず、
マスコミ各紙は連日のようにBrosという言葉を大きく取り上げゴス兄弟のあることないことを
ゴシップ記事に書きつづけた。 その方が新聞の売れ行きがいいからである。
これに参ったGOSS兄弟はBrosで居続けることに苦痛を感じるようになってしまった。
そして、解散を決意した彼らはレコード会社から契約違反で訴えられた。
兄弟が多額な賠償金を払うことで裁判は決着し、
それぞれほかのレコード会社と契約して別々に活動することになった。
Bros時代ドラムス担当だった兄のルークは解散後シングルCDを1枚発表し、
チャート初登場5位に送りその人気の健在振りを発揮した。
ミュージカルに主演するなど役者としての才能をもみせた結果、
最近では俳優業に専念し、 作品には『BLADEU』などがある。
一方どちらかというとセンシティヴなマットは、悲しい思い出ばかりで
毎日新聞記者に追い回されるイギリスに別れを告げ、
かつてからの憧れの地であったアメリカに渡り、
NYで多くのインスピレーションを得て1995年に待望のアルバム『TKE KEY』を発表した。
そしてイタリアのミラノにわたり、そこでクラブ・ミュージックの第一人者である
J.T.Vannelliと組み、Co*braを結成し、クラブ向けに『ONE』を出した。
またミレニアム前にはユニバーサル・レコードに移籍し、
2000年1月にはNYのカーネギーホールでコンサートを成功させた。
その後、諸事情でユニバーサル・レコードを離れた。
Foster兄弟と共同でマネージメント&スタジオの会社を設立し、
2002年11月に公式サイトがセーフサーチングでオープンした。
現在昔のレコード会社から著作権を含め全作品の買取計画を実行しているとのこと。
ニュー・アルバムは多くの束縛・制約から解放され、
Matt自身のレーベル(ブルドック・レコード)から出す予定。